およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

不可解なイライラ

 2018年2月1日。昼食後にイライラが募りました。原因不明です。

 たまにソワソワからイライラに転じることはありますが、すぐに雲散霧消します。今回は珍しくイライラが長引きました。

 頓服飲んで横たわり、いろいろ思索にふけろうと試行。30分ほど眠ったら精神状態が元に戻りました。

 天候気候のせいにしてもいいのかしら。ストレスフリーに近い日々ですし。

メールも電話も怖いで症

 電話・メールといった対話ツール。今の病になる前は、どちらも怖さを感じませんでした。若さってやつのなせるわざだったのかもしれませんが。

 病からくる確認行動や加害妄想にからむのかどうか、究明が待たれます。などと言いつつ考えてみます。

 電話は理由がハッキリあります。京都で某民鉄系コンビニの副店長をしていたころのこと。店で起きたことの連絡を受けるのが、退勤後に多かったゆえです。その民鉄のターミナル駅・特急発車メロディー(マルーン色電鉄と白状したようなもの)を着信メロディにしていましたので、余計にプレッシャー。阿呆です私。

 メールは……加害妄想が激しく出るのです。まずこちらに、失礼非礼が無いか不安になります。返信まで時間がかかると不安になります。そしていざ、返信を開く瞬間まで「お叱りだ……お相手様がお怒りじゃ……」と思い込むのでした。今の病気になる前は「メールというのは、送信受信が速くできるだけで、先方が早く返信する義務は必ずしもない」と思っていたのですがねえ……。

 これがですね、……。「LINE」だとまだあまり出ないのです。既読スルー上等やコラくらいに思えているのです(あまり放置されるとさすがにドキドキするめんどくさい奴ではありますものの)。

 今回もメンタル症状そのものについてではないエントリーでした。ご高覧多謝であります。

境界線を意識して

 相手から己のこころのうちへ踏み込まれることはある程度起きると前置きして。

 相手の責任であることや人格にかかわることには、踏み込まないことを意識したいというお話。

 必ずしも、ではないと思いますが、相手の領域へ踏み込むときというのはこんな考えが根っこにあるのかなと思っています。

・相手を変えたい

・相手、気に食わない

・こちらを乱されたくないので先手を打つ……などなど。

書くほどに気持ち暗くなります。

 まあ、相手に自分の物差しをあて、「かくあるべき」を押し付けようとしている……といえばまとめになるでしょうか。

 掘り下げすぎは良くないのかもしれません。ただ、「かくあるべき」を相手に押し付ける時というのは……。自分の思いは純粋で、行いは正しいと過ぎた思い込みを抱いているからといっても過言では無いと思うのです。

 傲慢さもある、と言っていいのかな。

 人間が生み出すものに絶対の基準は無いですし。

 私が聖書の影響の“上に立つ者”なので、絶対の基準そのものはあるとは思っています。殺すな、盗むな、などなど。そこいらの妥当性を論じるのは紙面が足りないのもあり置いておくとして。

 右往左往しているこの記事を強引にまとめてみます。

 ひとつに、自分が絶対正しいと思うなよ、ということです。

 ふたつめに、相手のせいであることまで手を付けたりするなよ、ということです。

 みっつめに、どんな相手でも人格まで責めたらやりすぎだぞ、ということです。

 

 境界線を意識しだしてから、少しメンタルも楽になりました。薬が必要なことに変化はありませんが、何とか日常がかたちになりつつあります。

 この記事をお読みくださる方をしっかりと敬い、感謝できているか自問しつつ、今回の更新といたします。

パソコン起動したい症候群

 Web空間はリハビリ施設、そう思い込んでいる節があります私ko.i.tsu。

 Skype等を使わず、相手の顔が直接見えない事例のほうが、私のところではまだ極めて多いのです。想像力と妄想を区別しつつ、相手との情報交換や対話をすることを意識するようにしています。まあ限界はまだまだ高い壁としてありますものの。

 こころに響いたり、刺さったり、いろいろあります。でもすべてを「益」と受け止められるように心がけております。

 さて、そんなWeb空間の「窓口」であるパソコンやタブレットスマートフォン。発信する前によく考えたり、記述を手で行って整理することが私には必要です。一言発するのに短絡的過ぎる傾向がありますので。

 その短絡的な面。手ごわいです。自分のことながら、御することがまだうまくできません。とにかくネット接続端末を起動して、思いつくままにだらだらと発信もどきをしてしまうのです。

 意識して、端末を遠ざけるようにしています。まずは入力や整理を手と頭と動かして行ってから、こうして書くようにしていこうと思っています。

 Web中毒・依存症な面を改善したいのもあります。端末に敢えて触れない時間、意識して確保したいところです。まあTwitterは別腹状態なのですが……。

 高校受験の徒然

今週のお題「受験」、についてです。

 中学生当時はまだ、メンタルをはっきりと病んではいませんでした。病的な人間ではありましたが。

 高校受験は一つ失敗、一つある意味失敗という二件を思い出します。

 一つ目の失敗は「不合格」。東北地方にある、某農業系高校を受験しました。新幹線とローカル線の気動車を乗り継いで、高校最寄り駅へ。街に三台しかないタクシーを、他の受験生と相乗りして山の中の高校へと行ったのです。

 面接ではそれなりの回答ができたと思い込んでいました。筆記試験も数学以外はそれなりに点数を取れたとも。

 しかし、この当時は身体のほうに不調がありました。そこが面接官にとって「ひっかかり」となったようです。その旨丁寧に理由を記した不合格通知書が、受験一ヶ月後くらいに中学校へ送られてきました。「あなたの身体症状に対応するとなると、大きな町の遠い病院まで行き来しないとならない。それは学校生活の不成立にもつながる」と。

 でもまあ、これで吹っ切れた部分があったようです。当時の私。

 高校校区内の偏差値第4位の高校に飛び込み受験の体で挑みました。結果は合格。ところがこれにはおまけ話が。

 校区1~3位の高校は、もうそれ相応に点数が取れる確信がある受験生が集中。4番目の我が母校となる高校は、受験制度変更初年ということもあり、安全牌と思われる高校に流れた受験生が多かった影響で、定員割れを起こしていたのです。詳細はややこしいので略してすいません……で。

 授業にはそれ相応についていくことができたので、合格そのものは失敗ではありませんでした。ただ、「全入世代は向上心に欠ける傾向があるからな」と教諭陣が述べた言葉のとおりになったのです。その空気に流されました。第二の「あるいみ失敗」です。果たして、大学受験でツケを支払うことと「なりまくる」のですが、またそれはいずれかの機会に。

 受験……もう資格試験以外はしたくないかな……(社会人入試も怖い)。

今日はなぜだか落ち着いて

 2018年1月24日。朝、用事で出かけました。帰宅後いつものソワソワ感に見舞われると思っていました。実際には、それほどこころはざわつかず、落ち着いて読書と執筆とその他もろもろができたのです。

 安定期ととらえて良いのか、まだわかりません。でもまあ、一日ずつ為すべきを積み重ねるだけです。ヴィジョンをかたちにしていくため、己とたたかうのみです。

 加えて、誰かと自分を比べるのはいけませんが、自分自身には勝利していきたいなと思うのです。

 夕刻、大切なメールを発送する予定です。それも無事にいきますように……。

ルーティン命ではないですが

 朝の諸事をしっかりとこなすのは、精神状態の切り替えに効アリというお話。

 当たり前ですが、洗顔等で冷水の刺激を顔に与えるのは効きますね。前回の記事にて触れたような、しらけや落ち込みから抜け出せる場合があります。どうして気づかなかったのかと不思議になります。昨日もシャキッとして用事に向かうことができました。

 あと、入浴(沐浴)も大切ですね。少し気持ちが上向きます。鬱傾向の時は、入浴するまでが億劫でしんどいのです。でも、いざ入るとスッキリします。

 精神的な疲労や状態は、肉体的に癒し、強める。これを思い出しつつ行こうと思います。