およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

眠りの質を上げましょう

 セルフ当てずっぽう診察。

 「一時的な希死念慮なら、しっかり休んでおきましょう。自殺企図にはまだほど遠いのですから」

 昼寝させて! 夜眠りの質が悪いのだと思います。

 寝だめで改善とはいかないので、夜の睡眠をしっかりと改められるよう、医師と二人三脚で行きます!

庭かけ回れない

 2018年2月6日。道路白く車を出すのは中止。

 気持ちも前を向くのをやめてしまって(ひとごとみたいに)、ダラダラと過ごしています。最低限の書類整理だけは……していきたい……。

 無理せず休んでからと思うのですが、休んでもスッキリしないことが増えてきたのです。次回の心療内科受診時にしっかり相談してこようと思います。

お外でなくちゃ妄想

 ソワソワ。いつものソワソワ。

 外出してこないと落ち着きません。バスや電車が恋しいだけかもしれませんが。そのくせ、寒さ暑さには弱く、体力がすぐに奪われます。洗濯物を干す10分間で、みごとにやる気スイッチが切れました。

 でも「外出しなくては!」とゆえなく思うのです。

 郵便局とスーパーだけは行って来ようと思います。それから諸事こなしても悪くは無いと思うのです。体力は削られますが。

不可解なイライラ

 2018年2月1日。昼食後にイライラが募りました。原因不明です。

 たまにソワソワからイライラに転じることはありますが、すぐに雲散霧消します。今回は珍しくイライラが長引きました。

 頓服飲んで横たわり、いろいろ思索にふけろうと試行。30分ほど眠ったら精神状態が元に戻りました。

 天候気候のせいにしてもいいのかしら。ストレスフリーに近い日々ですし。

メールも電話も怖いで症

 電話・メールといった対話ツール。今の病になる前は、どちらも怖さを感じませんでした。若さってやつのなせるわざだったのかもしれませんが。

 病からくる確認行動や加害妄想にからむのかどうか、究明が待たれます。などと言いつつ考えてみます。

 電話は理由がハッキリあります。京都で某民鉄系コンビニの副店長をしていたころのこと。店で起きたことの連絡を受けるのが、退勤後に多かったゆえです。その民鉄のターミナル駅・特急発車メロディー(マルーン色電鉄と白状したようなもの)を着信メロディにしていましたので、余計にプレッシャー。阿呆です私。

 メールは……加害妄想が激しく出るのです。まずこちらに、失礼非礼が無いか不安になります。返信まで時間がかかると不安になります。そしていざ、返信を開く瞬間まで「お叱りだ……お相手様がお怒りじゃ……」と思い込むのでした。今の病気になる前は「メールというのは、送信受信が速くできるだけで、先方が早く返信する義務は必ずしもない」と思っていたのですがねえ……。

 これがですね、……。「LINE」だとまだあまり出ないのです。既読スルー上等やコラくらいに思えているのです(あまり放置されるとさすがにドキドキするめんどくさい奴ではありますものの)。

 今回もメンタル症状そのものについてではないエントリーでした。ご高覧多謝であります。

境界線を意識して

 相手から己のこころのうちへ踏み込まれることはある程度起きると前置きして。

 相手の責任であることや人格にかかわることには、踏み込まないことを意識したいというお話。

 必ずしも、ではないと思いますが、相手の領域へ踏み込むときというのはこんな考えが根っこにあるのかなと思っています。

・相手を変えたい

・相手、気に食わない

・こちらを乱されたくないので先手を打つ……などなど。

書くほどに気持ち暗くなります。

 まあ、相手に自分の物差しをあて、「かくあるべき」を押し付けようとしている……といえばまとめになるでしょうか。

 掘り下げすぎは良くないのかもしれません。ただ、「かくあるべき」を相手に押し付ける時というのは……。自分の思いは純粋で、行いは正しいと過ぎた思い込みを抱いているからといっても過言では無いと思うのです。

 傲慢さもある、と言っていいのかな。

 人間が生み出すものに絶対の基準は無いですし。

 私が聖書の影響の“上に立つ者”なので、絶対の基準そのものはあるとは思っています。殺すな、盗むな、などなど。そこいらの妥当性を論じるのは紙面が足りないのもあり置いておくとして。

 右往左往しているこの記事を強引にまとめてみます。

 ひとつに、自分が絶対正しいと思うなよ、ということです。

 ふたつめに、相手のせいであることまで手を付けたりするなよ、ということです。

 みっつめに、どんな相手でも人格まで責めたらやりすぎだぞ、ということです。

 

 境界線を意識しだしてから、少しメンタルも楽になりました。薬が必要なことに変化はありませんが、何とか日常がかたちになりつつあります。

 この記事をお読みくださる方をしっかりと敬い、感謝できているか自問しつつ、今回の更新といたします。