およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

お相手の方に救われるように

 弊サイトからの新規リンク設定に際して、お相手の方にメールを送りました。許諾をいただけませんでしょうか、といった由。

 昔の重篤期だったら、自分のメールがきっかけで、お相手の方に災難が……などと妄想が激しくなったことでしょう。でも今回はその妄想が出ませんでした。

 病を克服できつつあるのかとも感じました。でも、実態はそうではないと考えるに至ります。お相手の方のサイトの内容や、ツイートから垣間見える「紳士性」がカギだと結論づけました。お目にかかったことは無いのですが、加減のよい一定の「信頼」の類を寄せることができていたからだと。

 その早期結論は間違っていないようでした。リンクをお受けくださるとの返信メールを拝読したときのことです。かしこまりすぎず、砕けすぎずの文面。お相手の方のほうが人生の先輩にあたりますが、年長者という要素を織り込まない丁重さ。

 私自身の対話の態度やスキルについても、気づきを与えてくださる文脈と内容でした。

 人と接するとき、症状が強まる。そうした面のある私の病。でも、関わりのなかでこそ、癒やされ、気づかされ、強められる……そう再認識しました。

 感謝の心で、リンク設定をいたしました。こうしたお相手の方が、多くいらっしゃることの恵み、感謝を忘れずに行きたいと思います。

対人関係の補助としてのWeb(ネット)

 お相手の方と顔を合わせたときに、加害妄想等が出るOCD持ちの私です。ある程度、緊張感を高めて、症状から気をそらすことは短時間なら可能。でも疲労が激しく、寝込むことも多々。

 そんな私のコミュニケーション補助として、欠かすことのできないのがインターネット上での各種ツールです。SNSTwitter掲示板、個人サイトなどなど。

 ネット依存と言われたら、返す言葉が無いくらいに、日々利用しております。

 疲れているときやつらいとき、症状に負けているとき。そうした折々にも会話や情報のやりとりは欠かせません。こもると、ほんとにこもりっぱなしになってしまいますゆえ。

 ネット万歳ではありませんが、疲労度を抑えてやりとりできるのは「最高」です。

 これからも、死亡ないし認知症発症~重篤化といった事態までは、日々「ネットに甘えて」生きるのだと思います。

人といると症状が出やすい

 まあ、いつものことなのですが。

 相手がいる、という状況で緊張感が高すぎるとき、OCDはやや弱い気がします。ほどほどの緊張感やリラックスしているときが危険なようです。

 危険、とは言いましても、実践実行(犯行)に移すことは無いのがこの病。一人で加害妄想に苛まれているだけなのです。でも時には怖がられます。無理からぬことでしょうね……。

 このOCD(強迫性障害)について、理解の深まりが広がると良いのに……。

 助けて欲しいと言うよりは、「ああ、そういう病ね」と、軽く距離を保つような間隔(感覚)で接していただけたら気持ち救われるというのが、個人的な思いです。

やっぱりシーソー状態

 幾分、加害妄想は減ってきました。こんどは無気力のような落ち込みのような、それなりにしんどい状況が戻ってきています。OCDも鬱も、両方が弱い状況になれば良いのですが。

 休みたいとき休める、という現状をうまく使えていない実感もあります。いつでも休めるなら、と無理を己に強いてしまうのです。かえって効率落ちるんですけどね。そのときには気づかないのが……なんともはや。

 発症から17年経過する月がもうすぐ来ます。そろそろ自分の症状との付き合い方、見つけたいところです。

緊張していたのかな

 静養生活をしていますと、一日外にいるのが堪えるようになってきます。それでも外へ出ようという志のようなものに変化は無く。

 6月15~17日の期間、一日、半日、半日と外へ。体に若干響いたのか、18日は眠ってばかりいました。まあ、朝の地震の際にはいろいろ思い巡らせましたが。

 19日になっても、眠気はひかず。薬の副作用も出る中で。

 屋内でできるIT顧問ごっこのような作業・業務は続けています。これが9時~17時勤務に返り咲くきっかけになればいいなと思いつつ。

症状継続中

 大切な相手、大切な物。そうした対象にOCDの加害妄想が出ます。相変わらずですわ。

 対人関係がつらい一番の理由はその点かなあ……やはり……。

 近々受診日。しっかりまた相談して対処聴いてきます。