およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

とあるカウンセラーとの思い出から

 学生生活をしていた大阪にて発症、のち東京の親許へ戻った私。そんな2002年後半のことだったと思います。新宿から遠くない場所にある、メンタル関係の研究所でカウンセリングを受けていました。

 強迫性障害とも診断をされたなかでのこと。現在(2018年)以上に頻繁に、倒錯的な妄想と仮称する、嫌な思考が浮かぶことがありました。この障害のことをあまりご存じでない方を、いたずらに怖がらせるのは本意ではありません。なので、思考の詳細は書くことをひかえます。ただ、「○○ということを相手にしてしまうのではないだろうか」という考えが強烈に脳内を支配するという点だけ、ご理解いただけたらと思います。

 実際には実行に移すこと無き思考。あるカウンセラーは「悪魔の声」という表現を使うことを躊躇いませんでした。別段、そのカウンセラーが、オカルトや神秘主義に傾倒しているわけではありません。要は「自分で自発的に行動しようとして考えていることとは全くもって違う」ということを、患者である私に認知認識させるための表現だったのでしょう。

 このカウンセラーとの出会いが、強迫性障害との付き合い方を変えてくれました。統合失調症由来の妄想はそれ以降も手を焼き続けるのですが、強迫性障害のほうはある程度やり過ごせるようになってきたのです。

 信頼できる医師・カウンセラーとの出会い、本当に大切だと思います。今回申したいことは以下のとおり。医師との出会いを求められる状況にあるならば、尋ねて周ることはけして悪くはないという点です。

 もちろん症状の程度や方向性によって、患者自ら動けない、相手医師を信じられない場合も多々あります。そうであればこそ、諦めないことを心に刻み付けていてほしいなと、自らにも、病の同胞に対しても思い願うのです。

 きれいごとめいたブログ記事になったかと思います。でも、諦めたら、何事でも、そこで試合終了です(とある漫画のセリフより……)。自らの苦境や不幸さを嘆く間に、できることが実は少なく無いこと、それを忘れずにいたい・いてほしいと思います。