「○○を信じたら、自らが思い描くように平癒!」と言うことではないので念のため。
三位一体の主なる神が、癒やせぬ病は存在しないこと、これはまったくもって真実ですし、私自身もその部分込みで信じています。ここでねじれた誤解をよくされます。
「おまえのメンタル癒やされてなくね?」
ここで冒頭の一節にも戻ってみたり。「神が愛だの真実だのとやらなら、いやしてくれて当然」といった思いが見え隠れする誤解、ほんとによく私の方に受けることがあります。
どうしてそうした誤解が生じるのかしら。手短かつ乱暴に言えば、「自らの罪ゆえに自分自身も周りの人のことも、神のことも、わかってない」のが人間だからかなあ、と。まあこれは今回の本題ではないのでここまで。やめやめ。
病があっても生きていける(一時的にダウンして休業ということがあったとて)ところに、大切な本質もまたあるのではと思ったりしております。
長く書いたな……。
有り体申さば「病すら神の恵みのうちにあり」なのかな、と。こう記すとまた明後日の方向に矢を射かけるようなことばが飛んだりするのです……。
信仰者であっても、知り尽くしえない部分が多々ありますしねぃ。それでももう一回書くならば「病があっても生きていける」ところだと思うのです。
「言い訳しない病人」としての生き方、実戦したいと思っています。この一言だけ書いておけば“平和”だったのやも。