およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

電話恐怖

 京都府内にも展開している、某民鉄系コンビニチェーンで、私が副店長をしていた頃のことです。

 帰宅して食事と入浴を済ませます。それからおもむろにノートパソコンを起動。当時は2005年、PHSAIR-EDGE)端末をつないで通信していました。さーて本腰入れてサイト更新と巡回するぞ! という段に限って通信が切れます。電話が入るのです。

 「すみません副店長、金銭事故です……」

 などと言った諸報告が、退勤後の疲れた折に入ります。対処を告げ、報告書の書き方を口頭で伝えたりして電話を切ると、さらにクタクタに。

 しばらくして、PHSの通信が別の原因で途切れても「電話鳴るの!? 店や本社から呼び出しなの!?」とパニックに陥るようになりました。

 結局、2年ほどの勤務期間で病再発となり、退職しました。それからしばらく、PHSや携帯電話の鳴動は恐怖でしかありませんでした。

 あれから……12年。いまだに携帯電話が鳴るとドキリとします。落ち着いて取れるようになりつつありますが。

 さてこれでも話の前振り。

 「午前のほうが電話つらい日」と「午後のほうが電話つらい日」があることに、最近気づいたのです。午前の電話がつらいのは、陰性症状の鬱気味によるものであろうと推測します。午後は……なんだろうと思っていました。

 「疲労……かな?」

 この仮定はだいたい当たりのようです。午後のしんどいとき、ひと眠りして頭をリセットすると、電話かけたり受けたりをできるようになることが多いのです。いやはや。

 午前中はいかんともしがたい部分がまだあります。30分睡眠による頭リセットが効くときは少ないのです。むしろ起きた後にぼんやりした感じが増し増しに。まあ、日光を浴びる作戦が功を奏するときもあります。

 電話を自然に受けたりかけたりできるくらいに、早く戻りたいものです。

病気とは無関係と思うも

 2018年1月11日。朝から珍しい気持ちに陥りました。

 すべてに対して「いい加減」な思いであふれます。すべてが面倒くさいと感じられました。或いは、消沈気味とも言えるような精神状態に。

 朝のルーティン後、予定に入れません。移れないのです。

「甘えるな、奮い立て、目を覚ませ!」

 自分に呼びかけますが暖簾に腕押し。前日の10日、一日外回りをしたのが堪えたのなら、却って情けないなと思い始めます。

 発声、深呼吸、ストレッチ。いずれも功を奏し……ません。これは疲労というものではないか、そう思えるまでダラダラと一時間ほど無駄にしてしまいました。

 割り切ったらあとは早いもので、眠ってみました。昼から動けました。

 今はまだこれでいいのかなあ、そう戸惑いつつ色々作業へ。フルタイム就労へ復帰する道は遠いままかと弱気になります。

 ここいらで心も頭も整理する必要がありますね……。

闇が猛烈に

 2018年1月9日。朝、ルーティンをこなしたあとのこと。

 不意にできたこころの隙間に、闇が勢いよく流入してくる感覚に陥りました。「闇」と「病み」。ダジャレでもなんでもなく、そうとしか表現できない感覚。何かわからないものによって、こころが翻弄されるように思えます。

 その時はペンを握りました。「こんな感覚になったよぅ」と、泣き言をそのまま記してみたのです。書きながら思いました、「逃げよう、これ」と。

 入ってくるものから逃げる、自分から逃げる、そうした"行動"だとは思います。でも時には撤退して良いと思うのです。

 どう思って「逃げた」か。それは「こんな意味不明で弱い自分を赦そう」と思うことでした。ありのままの自分を、「愛してみよう」と思い直すと言い換えられるかもしれません。

 ものの数分で落ち着き、「仕事」へ戻っていくことができました。こうしたこともあるのです。

 さて今回も、ものすごく意味不明さが増した記事となりました。まあでもこれも「本当」なのでした。ではまた次回に。

今日の妄想180108

 2018年1月8日。今日も「ハサミ恐怖」が出ました。まあ通例になりつつありますね。時々弱く出るだけだった時期もありますが。

 さて本日は、薬の仕分け箱(一週間単位、朝・昼・晩・眠前のつごう28マス)に薬を入れる作業時に、「ハサミ恐怖」がやってきました。ドキドキが強まり、「切ってしまうのでは」と思う対象物から、たまらず目をそらします。

 こういう時のもう一つの対処法(あくまで個人的なものです)として、切るべきものを切るとき、倍の集中をするんだと思うようにするというのがあります。

 ハサミで紙細工を切り出すかのように、手先指先に意識集中。薬の切り分けを終えたら、今一度ハサミをしっかり持ちます。一呼吸おいて「ほら、他のモノを切らなかっただろう」と自らに言い聞かせました。

 あとはハサミをしまうだけ。めでたしめでたし。今は落ち着いて振り返り、ブログにこうして記録を残しています。ややこしややこし、でもありますわいな。

 といった話でした。また次回!

知恵熱なわけは無く

 2018年1月5日。図書館へ行きました。帰宅後、肩ひじ張らずに読もうと思い、俳句の本を手にします。はてさて、楽しさ半分、しんどさ半分に陥ってしまいました。

 まあ、ここまではしばしばあることです。活字が入ってこない感覚。すり抜けてしまうような感覚にもなります。今日はそれに加えて、頭がクラクラしだしました。難しい本ではないのに。わかりやすく楽しい本なのに。

 結局、50分ほど本を入れ替えつつ読みまわりましたところで、ダウン。30分の仮眠をとることにしました。

 眠りから覚めると頭はスッキリ。再度、本を手にできました。

 まあ、「思うように読めなかった」と自分を責めたりしなくなっただけ、改善かもしれません。少しは大人の中身になってきたのかしら、このおじさん。

同じ抱負をまたいだく

 今週のお題「2018年の抱負」

 2018年は何としても、社会復帰を掴み取りたいです。どんなかたちでも、働けるように。今までの長いトンネル、無駄ではなかったことを他力本願ながら証明致したく。

 企図している業態に就けたらなと思っています。

本日のソワソワ感

 2018年1月4日。午前中にソワソワ感がやってきました。朝のルーティンワークを終えたころのことです。

 居ても立っても居られない感情だけがほとばしります。少し落ち着くまで部屋の中をウロウロしました。読書……掃除……家事……ううむ、手につきません。ルーティンはできていたのに。

 手帳を手に取ります。ToDoリストを目に入れました。ここでちょっとソワソワ感が沈静化。ひとつひとつ落ち着いてこなしていこう、そう思いなおすのです。呼吸法を実践するのも、ひとつの手。ゆっくり細く呼気を出していきます。出し切ったと思えるところまで行くと、自然に空気を吸い込むことができます。ゆっくり繰り返します。

 やがて落ち着きを取り戻し、書き物やら読書やら、またひとつずつできるように。もうあと半歩で、何かつかめそうな気がします。健康状態についても、書きたい題材についても。

 ある程度の「頑張り」は要るのだと、個人的に思っています。