およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

女性恐怖

 ちょっとだけややこしい題材について。

 普通にできるときは普通にコミュニケーションが取れるのです。ただ、親切にされたり、やさしくされると怖くなります。根っこが、小学生時代の陰湿ないじめられ体験から来ているのかはわかりません。

 妻との関係は、「大丈夫だ、問題ない」といったところなんですけどね。たまに「放り捨てられやしないか」と思うことはあっても。

 あと、私のパーソナルスペースの問題もあるのでしょうが、それ相応の近距離に女性が来ると(元男性の女性も同じ)、怖くて半ばパニックになることがたまにあります。怖いのに加えて、「私のけがれが相手に伝播するのでは妄想」があります。まあ、この妄想については、病気から来るものとわかってから、ある程度落ち着いて対処できるようにはなりました。

 生きている限り、たぶんこれはついて回る妄想だと思います。克服したいなあ……。

ハサミ恐怖は出なんだが

 2018年1月13日。コタツの部屋で作業を開始せんと構えたところで、妻が一言。

「エアコンかけてある台所(ダイニングキッチン)に行ってもらっちゃダメかなあ。エアコンいったん消して、おかあさんが起きてくる時にまたつけなおすと電気よけいに要りそうで……」

 転がしかけた、やる気という名の車輪に急ブレーキをかけられたかっこうに。まあ理由は飲み込めます。台所に最低限の荷物をもって移動。義母の起床まで、別の作業を進めました。

 パニックまでは至りませんが、「ふつうの」精神状態の方でも出ばなをくじかれると調子が狂うことがあると思います。まあそんな感じですね。

 ちょっと落ち着かなくはなったので、それに気が取られたのでしょう。薬を切り分ける作業の際にハサミ恐怖は出ませんでした。

 あっちの症状出れば、こっちの症状出ない(感じ取れない)。なかなかに厄介なおつむを持ってしまったものだと、自分への苛立ちをしずめつつ作業を進めたのでした。

電話恐怖

 京都府内にも展開している、某民鉄系コンビニチェーンで、私が副店長をしていた頃のことです。

 帰宅して食事と入浴を済ませます。それからおもむろにノートパソコンを起動。当時は2005年、PHSAIR-EDGE)端末をつないで通信していました。さーて本腰入れてサイト更新と巡回するぞ! という段に限って通信が切れます。電話が入るのです。

 「すみません副店長、金銭事故です……」

 などと言った諸報告が、退勤後の疲れた折に入ります。対処を告げ、報告書の書き方を口頭で伝えたりして電話を切ると、さらにクタクタに。

 しばらくして、PHSの通信が別の原因で途切れても「電話鳴るの!? 店や本社から呼び出しなの!?」とパニックに陥るようになりました。

 結局、2年ほどの勤務期間で病再発となり、退職しました。それからしばらく、PHSや携帯電話の鳴動は恐怖でしかありませんでした。

 あれから……12年。いまだに携帯電話が鳴るとドキリとします。落ち着いて取れるようになりつつありますが。

 さてこれでも話の前振り。

 「午前のほうが電話つらい日」と「午後のほうが電話つらい日」があることに、最近気づいたのです。午前の電話がつらいのは、陰性症状の鬱気味によるものであろうと推測します。午後は……なんだろうと思っていました。

 「疲労……かな?」

 この仮定はだいたい当たりのようです。午後のしんどいとき、ひと眠りして頭をリセットすると、電話かけたり受けたりをできるようになることが多いのです。いやはや。

 午前中はいかんともしがたい部分がまだあります。30分睡眠による頭リセットが効くときは少ないのです。むしろ起きた後にぼんやりした感じが増し増しに。まあ、日光を浴びる作戦が功を奏するときもあります。

 電話を自然に受けたりかけたりできるくらいに、早く戻りたいものです。

病気とは無関係と思うも

 2018年1月11日。朝から珍しい気持ちに陥りました。

 すべてに対して「いい加減」な思いであふれます。すべてが面倒くさいと感じられました。或いは、消沈気味とも言えるような精神状態に。

 朝のルーティン後、予定に入れません。移れないのです。

「甘えるな、奮い立て、目を覚ませ!」

 自分に呼びかけますが暖簾に腕押し。前日の10日、一日外回りをしたのが堪えたのなら、却って情けないなと思い始めます。

 発声、深呼吸、ストレッチ。いずれも功を奏し……ません。これは疲労というものではないか、そう思えるまでダラダラと一時間ほど無駄にしてしまいました。

 割り切ったらあとは早いもので、眠ってみました。昼から動けました。

 今はまだこれでいいのかなあ、そう戸惑いつつ色々作業へ。フルタイム就労へ復帰する道は遠いままかと弱気になります。

 ここいらで心も頭も整理する必要がありますね……。

闇が猛烈に

 2018年1月9日。朝、ルーティンをこなしたあとのこと。

 不意にできたこころの隙間に、闇が勢いよく流入してくる感覚に陥りました。「闇」と「病み」。ダジャレでもなんでもなく、そうとしか表現できない感覚。何かわからないものによって、こころが翻弄されるように思えます。

 その時はペンを握りました。「こんな感覚になったよぅ」と、泣き言をそのまま記してみたのです。書きながら思いました、「逃げよう、これ」と。

 入ってくるものから逃げる、自分から逃げる、そうした"行動"だとは思います。でも時には撤退して良いと思うのです。

 どう思って「逃げた」か。それは「こんな意味不明で弱い自分を赦そう」と思うことでした。ありのままの自分を、「愛してみよう」と思い直すと言い換えられるかもしれません。

 ものの数分で落ち着き、「仕事」へ戻っていくことができました。こうしたこともあるのです。

 さて今回も、ものすごく意味不明さが増した記事となりました。まあでもこれも「本当」なのでした。ではまた次回に。

今日の妄想180108

 2018年1月8日。今日も「ハサミ恐怖」が出ました。まあ通例になりつつありますね。時々弱く出るだけだった時期もありますが。

 さて本日は、薬の仕分け箱(一週間単位、朝・昼・晩・眠前のつごう28マス)に薬を入れる作業時に、「ハサミ恐怖」がやってきました。ドキドキが強まり、「切ってしまうのでは」と思う対象物から、たまらず目をそらします。

 こういう時のもう一つの対処法(あくまで個人的なものです)として、切るべきものを切るとき、倍の集中をするんだと思うようにするというのがあります。

 ハサミで紙細工を切り出すかのように、手先指先に意識集中。薬の切り分けを終えたら、今一度ハサミをしっかり持ちます。一呼吸おいて「ほら、他のモノを切らなかっただろう」と自らに言い聞かせました。

 あとはハサミをしまうだけ。めでたしめでたし。今は落ち着いて振り返り、ブログにこうして記録を残しています。ややこしややこし、でもありますわいな。

 といった話でした。また次回!

知恵熱なわけは無く

 2018年1月5日。図書館へ行きました。帰宅後、肩ひじ張らずに読もうと思い、俳句の本を手にします。はてさて、楽しさ半分、しんどさ半分に陥ってしまいました。

 まあ、ここまではしばしばあることです。活字が入ってこない感覚。すり抜けてしまうような感覚にもなります。今日はそれに加えて、頭がクラクラしだしました。難しい本ではないのに。わかりやすく楽しい本なのに。

 結局、50分ほど本を入れ替えつつ読みまわりましたところで、ダウン。30分の仮眠をとることにしました。

 眠りから覚めると頭はスッキリ。再度、本を手にできました。

 まあ、「思うように読めなかった」と自分を責めたりしなくなっただけ、改善かもしれません。少しは大人の中身になってきたのかしら、このおじさん。