およぐこころ、たゆたうからだ

100兆ドラクマko.i.tsu、自身のメンタルヘルスの記録

たまにある寝つきの悪さ

メンタルに特段の事情無くとも、寝つきの悪いときがありますよね。

今(2021年12月23日23時台)がまさにそれです。

かつては睡眠の助けとなる薬を内服しておりました。徐々に薬を減らしていき、今ではたいていスッと眠りに入れるのです。

たまにこうして寝つけぬときが訪れると、Twitterなどを見て過ごしてしまいます。

良くないなぁ…却って目が冴えるのに。

軽めの睡眠導入剤、飲むのありなのかなあ。

消沈なのか疲労なのか

……両方ということもあります(題名)。

こと、独りでいられないときにひどいかもしれません。

いや、独りでいても陥るときがあります。

……なんなのよ……。

 

ひとつひとつ(数えていいのかな)、疲労を回避したり、除いたりしていくだけなのかな。

視野の欠けにびっくりした

偏頭痛を伴う視野狭窄ならば、学生時代のお友達だったのです。

ところが2021年5月28日の視野明滅部分発生は、偏頭痛無し。かえって怖いわこれ。

ちょっといら立つような落ち込むような、不安定メンタルになりました。

診察の結果、眼の機構に問題は無し。

左右同時に生じたり消えたり……というあたり、脳神経外科の範疇の可能性の方が高いとの医師の見立て。

日曜日に「穴開けて」またかよの自責の念。

本を読みたい

背表紙を見てもときめきません。ときめいたら保存しておくのが一指標でしたっけ(それは、こんまりさんへの誤認を含む)。

いやそうではなくて。

背表紙見ても動悸がします。落ち着きません。

ふっとスイッチが入ると、読みふけるんですけどねえ。

まあ、アプリで新改訳聖書を読んだり、雑誌配信サービスを利用したり……というのはできるので、そちらからアプローチするのがよさそうです。文字を追える!と頭が思ってくれれば、書籍をめくるのも……多分きっと必ずできるはず。

心がめげていたら、身体的な刺激でのぞむ。これハックな。豆な。

差しさわりに慣れていいのか

日常、やはり支障あり。病む前の人格もたいがいでしたが、病んでからの心身もなかなかのものです。

発症してもうすぐ20年、ちょっと頑張ることはできるようになってきた、そう思っていました。

しかしどこかで急転直下、まともに役目を果たせぬことが多々発生。

安定して働けたら、いろいろと「返上」できますのに、申し訳なさが先に立ちます。

後から湧くのは、加えて申し訳なさ。

根底は、しっかりしていると思うのです(宗教的にもなるので今回割愛)。

でも枝葉や花実がいっこうに……という感触です。

水や肥料、日差しは適度にいただいている、そうたとえられる人生行路なのですけどね。ゆえにまた申し訳なさが……感謝ももちろんたくさん出てきますものの。

うーん、一生もの、なのかなあ。

山をならせば

平均をとれば、まあ、一日あたりそこそこの働きはできるようになってきたのかな。

そう思えるこの一週間でした。

水曜日は事業所から帰宅後、法人事業所のことはさておいて半日眠り込みました。

29日になり、第3稿に至り、その件を嬉々として、文章の師匠と仰ぐ結城浩先生にメールでお知らせするというハイテンション。おちつけ。

午後はまたぐったりしそうだけど、また明日目指して、未来目指して、一歩ずつ……ですな。

ゴールデンウィークこそ、仕事

リフレッシュ期間を早めに取っていた(4月15日前後)。

電車内で、カフェで、テレワーク(ノマドワーカーかな)と言い訳しながら。

ついでに撮り鉄やら乗り鉄。バスもあるでよ。

まあ、身体もそこそこ落ち着いている。問題は山積だが焦らず行こう。

しんどいものはしんどい。誰だってそうだ、と思える一面も出てきた。

余裕があるときはあるなりに、ないときもないなりに。

この好調期間で貯金を作っておけたらいいけどな。急ぎ過ぎず行こう。